子守唄
玉砂利の敷き詰められた境内で少女が一人遊んでいる。 まだ5、6つであろうか。 黒い髪の右と左に少しだけ分けた髪に細いリボンを結んで、絣の着物を着た少女は奇妙なほど神社に馴染んでいてまるで一枚の絵のようだった。 その少女は夢中になって宙に舞いあげているのは、小さな紙風船。 黄昏近い空に、何度も何度もぽおんっと放り投げては落ちてくるのをつこうとする。 けれど少女は1、2度とくと紙風船の行方を見失ってしまうのかそれ以上続かず、また拾い上げて放り投げて・・・・。 ―― そんな姿を、遠目から依灯は見つめていた。 同い年の幼子と大して変わらぬ姿の少女。 何も知らない、小さなちいさな・・・・。 「理瀬」 それまで風の音と木々と鳥の声しかなかった境内に聞こえた人の声に、少女はぱっと振り返った。 途端にそこに依灯の姿を見つけてぱあっと顔を輝かせる。 「お母さん!!」 それはそれは嬉しそうに、少女は、理瀬は一目散に依灯の元へ駆けてくる。 いつもそうだった。 理瀬の持つ特殊な事情のせいもあって、一人で遊べる年になっても人里に出すわけにいかなかったので理瀬には友達がいない。 夜月神社という小さな理瀬の箱庭の中で、依灯という母と麻生という父だけが理瀬の知る人だった。 けれどその父と母でさえ偽りのものだと知ることもなく。 依灯にはそれが不憫でならなかった。 麻生に使われる式である依灯は元来は感情を持たない。 けれど八百年の長い間、人の世をたゆたう内にそれなりの感情を得ていたし何より数年前突然塚から力づくで呼び起こされ託された小さな幼子を、依灯は依灯なりに愛していた。 小さな箱庭の中、それだけでも理瀬は笑って怒って小さい体に力一杯の感情を表して成長している。 それを見るたびに、ふと思うようになったのはいつからだろう。 この子が普通に生まれ、両親の元で愛しまれて育っていたなら、と。 こんな運命の環に巻き込まれることなく幸せな人生を送っていたら、と。 (詮無いことだ。) 現実(いま)は現実(いま)。 自分の頭にわき起こった考えを払うように軽く振って、依灯は膝を折ってかがむ。 走ってきた娘を抱き留めるために。 いつも理瀬は脇目もふらずに依灯なり麻生なりに駆け寄ってくる。 抱きしめてもらうのを疑いもしない真っ直ぐな態度で。 けれどその時、ふわっと風が吹いて理瀬の持っていた紙風船が彼女の手をこぼれ落ち。 「あっ!」 ―― はじめて、理瀬は依灯に駆け寄る足を止めた。 「!」 少し先まで転がっていった紙風船を取りに行く理瀬の姿を見つつ、依灯はたった今胸に走った不可思議な感情に眉を寄せる。 なぜだか、いつものように真っ直ぐ走り寄ってこなかった理瀬の姿に急に置いて行かれたような気分になった。 紙風船に理瀬を取られてしまったように。 ・・・・その段になって依灯ははじめて気がついた。 立ち上がって後少しになっていた理瀬との距離を縮めると、理瀬に合わせてしゃがみ込む。 「理瀬、その紙風船はどうしたの?」 「えっと・・・・」 麻生が子煩悩な父親よろしく買ってきたおもちゃの中には紙風船はなかったはずだ、と思って聞いた問いに急に理瀬はバツが悪そうに視線を下げた。 叱られる前に理瀬が良くする仕草に、依灯は微笑んだ。 「大丈夫、怒っているわけじゃないから。」 「怒らない?」 きゅっと紙風船を抱きしめて上目遣いに見上げてくる理瀬の頭を撫でて安心させてやる。 「大丈夫。」 「あのね、お兄ちゃんにもらったの。」 「お兄ちゃん?」 「階段の所で遊んでたら、遊んでくれたの。」 にっこりと笑う理瀬に少なからず依灯は動揺する。 理瀬の姿は村人には観られないように術が施してあるはずだ。 それを見破ったとすると。 (あの子か。) ふっと脳裏に理瀬と同じ、特殊な事情を持つ少年の姿が浮かぶ。 あの子なら理瀬の姿を見ることぐらいはできたかもしれない。 「遊んでもらったの?」 「うん!通るといつも遊んでくれるの!」 怒られないとわかったのか、嬉しそうに頷く理瀬を見てまた僅か依灯の胸が疼いた。 (あの子なら、いつか理瀬をこの箱庭から連れ出してくれるだろうか・・・・) 依灯はそっと手を伸ばして理瀬を抱き上げる。 いつの間にか赤子でなくなった少女は抱っこされて嬉しそうに依灯の肩に抱きつく。 何も知らない、ただ一生懸命生きているだけの小さな理瀬。 着物越しに伝わる体温に依灯はぎゅっと理瀬を抱きしめた。 いずれ、依灯も麻生も理瀬の両親の役を降りることになるだろう。 ひとりぼっちにはしたくない、けれど塚に縛られた身では顕現していられる時間も限られる。 「理瀬」 「?」 「そのお兄ちゃんが好き?」 腕に抱いて覗き込むと理瀬は元気よく頷いた。 「うん!理瀬、お兄ちゃんだーい好き!!」 「そう。」 ふと依灯の心に小さな灯りが灯る。 いつか、いつか、理瀬が大きくなって恋をする時、こんな風に話せたらと。 少しずつ育っていく娘を見守る母親のように、困った時には側で慰めて、恋の相談に乗ったり、落ち込んでいたら元気づけたり。 (・・・・甘い幻想だな。) 理瀬に気づかれない程度のため息で依灯はその考えを振り払った。 本当の母親どころか、下手をしたら依灯は理瀬と殺し合いをしなくてはいけなくなるかもしれないというのに。 (それでも・・・・) 依灯は小さな理瀬の体を抱きしめる。 (誰でも構わない。この子をこの箱庭から連れ出して幸せにしてくれるのであれば。) 「お母さん?大丈夫?どっか痛い?」 「・・・・いいえ。大丈夫。さあ、家へ帰るよ。」 「うん!」 元気に頷く理瀬を抱いたまま、ふと依灯は神社の鳥居の方を振り返った。 そこには暁に染まった夜月の里が見える。 守られた箱庭。 ―― 理瀬の運命を左右するもの。 腕に抱いた幼子の抱えるものがどれほど強大で、どれほど厄介なモノかは身をもって知っている。 けれど。 ―― 幸せに、どうか幸せにと願う心は、母親のそれに似ていた・・・・ ―― 少しだけ、何を犠牲にしても夜月の里を守ろうとした彼の神子の気持ちが分かった気がした・・・・ 〜 END 〜 |